2023年6月に開催した露文合宿について、2年生の大瀬楓真さんに報告記をお寄せいただきました。
2023年6月・露文合宿体験記
露文コース二年 大瀬楓真
しなの鉄道の車窓から何を見て、何に対して感興を覚えたというのは、はっきりと覚えていない。ただひとつ、私を捉えて離さなかったのは、私は露文コースで一体何をやるべきなのだろうという、ぼんやりとした焦りであった。思えば露文でも何でも、私より自らの専門を極めている学生は山のようにいるわけだし、ただ学問に対する情熱がひとりぽつねんとあったとしても、素養がなければ友達が何を云っているのか解りすらしないだろう。文化構想学部から転部をし、いまだ書物の上の地名に過ぎない軽井沢にまで来てしまった私は、「思えば遠くへ来たもんだ」と呟くほかはなかった。
信濃追分駅を降りると思いのほか涼しかった。初めて歩く軽井沢は、私の憧れの地であった。名だたる文豪が夏をこの地で過ごした。この地で遠藤周作は北杜夫らと毎年のようにパーティを開き、この地で川端康成は、遥々原稿の催促にやってきた選りすぐりの美人編集者をミミズクのような眼でジッと眺めてばかりで、ちっとも原稿を書かなかった。そして何よりも、堀辰雄がこの地で綾子と出会ったのだ……。
来たこともない場所にあるはずのない郷愁を抱き、合宿所である「早稲田大学軽井沢セミナーハウス」を目指して牛のごとき恐るべき緩慢さをもって歩き始めたが、一向に着かない。殆ど山道のような歩道を同期と歩き、来年は必ず自動車で来ようと二人で誓った。それほどの急な傾斜で、長い小径であった。息を切らしながらようやく門にたどり着き、いやあ疲れたなどと入口のところで話していると、颯爽とподьездに一台のタクシーが乗り付け、二人で誰だろうと思っていたら、涼しげな顔をした安野先生であった。来年は必ず自動車で来ようと、再び二人で誓った。
はじめに自由があった。自由はすなわち閑暇であった。私は坂庭先生訳の『大尉の娘』を焦って読んでいたし、グラウンドで野球をする人もいれば布団で泰平の眠りに耽る人もいた。遠くへ買い物に行く人もいた。一方で、合宿でほぼ全員が参加した懇親会の場にはだいたい酒が置いてあったというのは、本体験記で銘記すべきことである。はじめは険しい顔(と勝手に思い込んでいる)をした先生や先輩の前で完全に委縮しきっていた。私の素養のなさとそれに起因する無為の嘆きを当座の仮面で繕ったところで、彼らの慧眼の前で隠し通すことなどできないだろうと、終始恐ろしかったからだ。
しかし、その恐怖の半分くらいは恐縮であったようだ。懇親会も半ばになるともはや学生と先生の区別がつかなくなった。学生と先生との距離の近さこそ、わが露文科の意外的な強みなのかもしれない。普段畏敬の目で眺めている大先輩や大先生と、幾重もの遠慮をかいくぐってアカデミックな話を直截にできたというのは、相手にとっては何でもなくとも私にとっては貴重な財産となった。例えば、どういう心理で或る文章をこのように訳したかなど、翻訳当事者しか知り得ないことを聞けたのは嬉しかった(おかげで、合宿中に旧訳と先生の訳文を比較して読む度に、翻訳者(先生)の身体性というか、更に言えば顔がいちいち私の頭を領して離れなかった。ただし、それが批判的な読みの助けになったこともまた事実である)。ちょうど坂庭先生の『大尉の娘』を読み進めていた頃だったし、この時に聞いたことなどが元になって、のちに私は坂庭先生の演習で『大尉の娘』の基調報告について、30分のスピーチをやることになったのである。他にもいろいろ話したが、気付いたら皆泥のように眠っていた。
懇親会の盛況ぶりと引き換えにその翌朝は嘘のように静かだった。いま東京はあれほど蒸し暑いのに、軽井沢の朝はむしろ寒いくらいである。胸いっぱいに透きとおった空気を呼吸すると、欠伸をかみ殺した口の隙間から、今日も大いに運動して勉強してやろうという、白い気焔がもくもく出てくる。初夏にも拘らず白色の息が出るくらい寒いのである。
殆ど広葉樹のトンネルと化した並木径を歩きながら、昨夜見た夢のことを想い出していた。不思議な夢を見たが、その夢には音がなかった。唯一明瞭に記憶していたのは、視界を領する全くの暗黒の上に、あたかもサイレント映画のように一つのロシア語がぽつんと浮かんでいたところである。私はそれを遠く方から立ち尽くして、ただそれをジッと見つめていた。совершение。
私はわりかし夢に影響される性質の人間である。研究社の露和辞典でсовершенноの上に載っていたので同時に暗記していた。木漏れ日の中で心地よい風を肌に感じながら、その単語を『ロリータ』の序文のように口の中で転がした。サ。ヴィル。シェーニエ。サ。ヴィル。シェーニエ。夢を反芻するうちに、露文コースで何をするべきかという焦りはむしろより具体的な形を伴って迫ってきた。先生や先輩との話を通して、また自己の内省を通して見えてきたのは、読むべき本の圧倒的な多さであり、それと比較した時の、残された時間の圧倒的な足りなさであった。совершениеは実行や遂行の意味を持つが、同時に成就という意味も持つ。私は研究社の辞書にあったこれらの意味を、かなり恣意的に解釈する。原義を知らぬ初学者の面目躍如である。私はとにかく淡々と、読むべき本を読み、覚えるべき語を覚えるのみだ。当座の私が全力でやれることはそれだろうと諒解した。
それならばまずはプーシキンから始めなければならない。最初に読んだロシア文学は「スペードの女王」であった。そして今は『大尉の娘』の訳を、神西清と坂庭先生の訳を二つ、常に持ち歩いている。プーシキンはロシア近代文学の始まりであると同時に、私の人生おけるロシア文学の始まりでもあった。